葉月講実施

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9784166606061.jpg旗本夫人が見た江戸のたそがれ・井関隆子のエスプリ日記(深沢秋男著・文芸春秋)◆未知を知ることは楽しい。それが一級品の資料や日記に裏打ちされているものなら尚更のことだ。20日に開催した江戸連葉月講で講師・深沢秋男氏(昭和女子大名誉教授)が語ってくれた「井関隆子日記」はまさにそう。講演会場となった日本橋伊場仙7階ホールは「旗本夫人が見た江戸のたそがれ」というタイトルに魅せられたのか、講演行事では今年最高の入りの47人が参加した。その中で深沢氏が語った要旨は次の通り。


◆1.『井関隆子日記』は幕末に生きた、バツイチで酒好きで古典に精通した豊かな教養を持った旗本夫人が残した天保年間5年間の日記である。近世仮名草子を専門とする深沢先生にとっては、全くの専門外であり不安を抱えたままの研究だったが、いつか隆子という人物に惹かれるようになり、この魅力的な女性を世に知らしめたいと決意するようなったという。

◆2.隆子という女性は、井関家に嫁いだ後も、旗本の主婦として夫に慕われ、子や孫からも尊敬され、蓄積した教養と天性の批評眼で、様々な対象に対して的確な批評・感想・意見を書き残した。「目の前にしている様々な出来事を書き留めていると・・何百年も経過すると・・貴重な記録にもなる」という隆子の歴史認識の確かさには驚かされる。また、天下祭り・四季遊び・見世物・地震などの市井や自然などあらゆることに旺盛な好奇心を示し、貴重な記録として残してくれた。

◆3.井関家は代々将軍や大奥に使える仕事柄であったため、『徳川実記』などの公式見解とは異なった真実の情報(将軍の死亡日ほか)が『日記』に書かれているのも興味深い。子や孫は尊敬する隆子に、折にふれて城内・大奥の情報を密かに伝えていたのである。天保15年の江戸城本丸全焼の様子なども、現場に居合わせた者からの情報として臨場感あふれた記録になっている。

◆4.『日記』の文章・文字そして絵を見ても隆子の教養の深さが半端でないことを物語っており、10年以上前からいくつかの大学入試で出題されるなど『日記』の評価が高まっている。

◆講演要旨はこんなところだ。講演の中で印象的だったのは、深沢氏が語った「研究者に必要なことは何かを発見すること、そして歴史を正しく修正すること」の一言。井関日記からは知られていない江戸近世末期の世相・流行が読み取れると語った。またその日記が最近大学入試で出題されていると語った時、深沢氏のうれしそうな顔が大変印象的だった。本来研究の仮名草子から十年間も寄り道して井関日記に没頭してきた成果が評価された結果の満面の笑みなのだろう。(圓山稔)



懇親会.jpg◆会場を日本橋小舟町の中華料理店「天豊」に移しての懇親会。講師・深沢秋男先生を囲んで24名が出席。圓山事務局長の司会、新実代表理事の挨拶で会は始まった。◆まずはいつものようにビールで乾杯。ゆったりとした雰囲気の中で前菜をつまみながらの歓談。つぎに運ばれてきた料理は、エビのチリソース煮。やがてビールが紹興酒にかわり、焼酎、日本酒、ハイボールと矢つぎ早にリクエストするウワバミ連(それにしてもよく飲みますね)。麻婆豆腐、豚肉黒酢煮、餃子と大皿に盛られた料理がつぎつぎに供される頃には談論風発。酒も食もすすむ。皆さん健啖ですね。◆宴たけなわの中、講に初参加のゲスト紹介があり、宮田経博氏から江戸連に加入しますとの挨拶。コーンスープ、五目チャーハン、杏仁豆腐と本日の料理が出尽くしたところで宴はお開きとなる。岡安前代表理事の一本締めで閉会。◆存分に料理をいただき、飲んで、野口英世三枚は嬉しい価格でした。(松本崇男)


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昭和女子大の名誉教授で、近世の仮名草子なんかが専門なんだそうですが、井関隆子さんの日記にぶつかってからはどっぷりと惚れ込んでしまわれたようです。

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江戸連のみなさまだったら、一生懸命にやらないと評判も悪くなってまずいんじゃないかと、今日は私もリキが入りまして、そしたら資料がたくさんになって、12枚になってしまいました。


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井関隆子日記ですが、この女性の大きな著作になります。昭和女子大学・桜山文庫に所蔵されておりますが自筆本で12冊で966葉、まあ2000ページぐらいの壮大な写本であります。

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天保時代というのは、江戸文学の中でもあまり価値のない時代なんです。そういうように教わっていました。非常に退廃的で見るものはないと。したがって私も最初から拒否反応があったんですけれども、貴重なものですから読んでみたんですね。


 1.旗本夫人が見た江戸のたそがれ
   ~井関隆子のエスプリ日記~(深沢秋男・文芸春秋)
 2.井関隆子の研究(深沢秋男・和泉書院)
 3.井関隆子日記の研究(深沢秋男)

▼井関隆子との出会い
●昭和47年、恩師・重友先生の使いとして、桜山本『春雨物語』を返却するため、鹿島則幸氏の御自宅へお伺いした。用件が済んだ時、鹿島様は「こんなものもございますが」と言って、桐箱入りの12冊の写本を見せて下さった。私の専攻は近世初期の仮名草子であり、幕末の名も無い女性の日記に手を着けるのは、憚られた。しかし、初めから読み進めるうちに、その文体と内容に、グングン惹かれていった。
●岩波の『国書総目録』は書名を「天保日記」とし、著者は「井筒隆女」から「井筒隆」へと変更していた。女性の日記か、男性の著作か、それさえはっきりはしていなかった。
●『日記』を読みながら、著者の調査も進めた。幕末の旗本の妻であり、「井関隆子(いせき たかこ)」と言う女性である事が明らかになっていった。もともと出版社の要請で原稿作成に着手したのであるが、オイルショックで企画は中止となってしまった。しかし、その時、私は、この『日記』のトリコになってしまっていた。
●勉誠社に頼み込んで、全3冊の校註を終えるまでに8年間の年月を費やした。仮名草子研究者としては、8年間の寄り道であった。
(深沢秋男研究室のHPより)