睦月講実施

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小江戸川越七福神めぐり
企画 江戸連 圓山稔氏
案内 元川越市役所職員 圓山壽和氏

 天気予報では「一日中曇り・雨の確率40%」という状態がずっと続いていたが、講の3日前くらいから徐々に好転していき、当日は「一日中晴れ」という江戸連日和になる。今年も好スタートだ。集合場所のJR川越駅に40人のメンバーが勢ぞろいして、1時に歩き出す。ガイド役は元川越市役所職員の圓山氏。駅前再開発に携わったこともあり、初っ端から川越の魅力を熱っぽく語る。
川越七福神めぐりは「町興し」として企画された歴史の浅いものだが、すっかり定着したとか。
 妙善寺(毘沙門天)~天然寺(寿老人)から喜多院までの道程は、農家と一般住宅の混在したのどかな風景が続く。途中、中院という寺へ立ち寄る。美しいたたずまいの寺で、お茶や能など文化活動の拠点になっている様子だ。ここには島崎藤村が義母(藤村の妻の母)のために建設したという茶室が移築されていた。そのすぐ隣が仙波東照宮で、天海僧正が創建したという。26.jpg
 寛永15年1月の川越大火で隣接した喜多院ともども延焼したが、時の藩主堀田正盛及び次の藩主松平信綱が再建をしたという。正月ということもあって普段閉じられている東照宮の扉が開いていて、ゆっくり見学をすることができた。信綱や柳沢吉保などが寄進した石灯篭が存在感を示す。
 喜多院(大黒天)は家光、春日局や天海僧正所縁の建物など重要文化財が多い。さすがに、出店も多く人でごった返している。ここまで全行程の約半分、10分間の休憩をとる。
 成田山川越別院(恵比寿天)~蓮馨寺(福禄寿)は古い町並みを残す商店街の中にある。
 ガイドの圓山氏が町興しの秘訣をあれこれ明かしてくれる。
妙昌寺(弁財天)に到着したのは3時少し前。ほぼ予定通りの進行状況だ。ここで恒例の記念写真を撮る。いよいよラストの七福神である見立寺へ向かう。江戸連衆もいささか疲れてきた様子で、めいめい勝手な歩きになり、40人という数の力で道路中央付近まで占拠する状態になっているのが少々気掛かりだ。川越市を囲む新河岸川に出る。たくさんの鯉が我々を歓迎してくれた。
27.jpg見立寺(布袋尊)に無事到着!お菓子横丁を通り、川越まつり会館へ入館したのは3時40分で予定時間通り。講師の斎藤正美(郷土史研究家)さんと圓山壽和さんが「新河岸川の舟運の歴史」などを中心にミニ講演をして下さる。新河岸川の整備は元々、寛永15年の大火で焼失した喜多院や東照宮を再建するために、江戸城の紅葉山東照宮を移転したり、建築資材を大量に各地から運び込むために開発されたもであったが、公用(年貢運搬など)から私用(商人が大量の商品運搬に活用、また江戸と結ぶ定期連絡舟「川越夜舟」など)へと利用の比重が変化したという。
 川越の繁栄は新河岸川による「水運」の賜物という講師の話に、江戸の物流を担った水運の役割に改めて感心した。まつり会館では「川越まつり」のビデオや展示されている巨大な山車を見せていただく。この時4時40分。新年会は5時からと頼んでいたので、三々五々川越駅近くの「居酒屋 秀」に向かう。歩きあり、バスありとばらばらと集結し5時20分頃に全員揃う。
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今回の「川越七福神めぐり」に際しては川越市観光課長さんにも大変お世話になった。江戸連がNPO法人であることを配慮して、まつり会館を無料にしていただいたり、会館内に講演会場を確保してくれたりしていただいた。また全行程一緒に歩き、説明をいただいた圓山さんや新河岸川水運の講演をしていただいた斎藤さんにも感謝でいっぱいです。ありがとうございました。
それにしても江戸連のみなさまの元気さに改めて驚かされた睦月講でした。
(圓山稔)



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 夕方4時少し前に「川越まつり会館」を出て、蔵造りの町並みを見物しながら、今日の新年会の会場のある川越駅に向かって夕暮れの道を三々五々歩いて行き、辺りがすっかり暗くなった5時過ぎに居酒屋「秀」に全員無事集合。30人座れるようにセットされた長テーブルと7席のカウンターに着席。37名の満席、貸切です。
 テーブルの上には、既に刺身の盛り合わせ、蕪と胡瓜と人参の漬物、パスタサラダが用意されており、鍋とコンロもセットされていました。早速、新実さんの挨拶と乾杯で新年会の幕が切って落とされ、ビール、ワイン、日本酒が次々に注文されて、何時もの賑やかな宴会が始まりました。ややあって長谷田さんが鞄からウオッカのボトルを取り出してきました。
 昨年の江戸連の会の時、仲下さんがロシア土産で持ち帰ったものを、皆で旨28.jpgい々と呑んだため、仲下さんからさらに1本進呈され、長谷田さんが預かっていたものです。本来、昨年の忘年会に持ってくる予定でしたが忘れていたということで、行方不明になることなく、律儀にも今回持参されました。ウオッカと思えないような絹のような上品な喉ごしですうっと胃の中に入っていきました。
 銘柄は「皇帝のコレクション」アルコール度数50度。誰ががぶ飲みしたのか、わずか30分足らずで空になっていました。しかし、さすが仲下さん、この日の為にわざわざロシアで買い求めたウオッカ2本を出してきました。「サマコン(和訳:どぶろく)」40度と「モスコースカヤ」45度です。「サマコン」は現在販売中止になって非常に手に入り難いものだそうです。フルーテイな香りがあって「皇帝のコレクション」とは又違った味わいのあるウオッカでした。「モスコースカヤ」も「皇帝」に劣らず喉ごしの良いものでした。何れもこれまでウオッカに対して持っていた、アルコールが強くて臭くてカッと来るような喉ごしという常識を29.jpg覆すもので、本当に美味しいものでした。
 テーブルの上では海鮮の鍋の料理が始まり、盛り沢山の海の幸が突っ込まれていました。ただ、人数の割には鍋の数が少ないように思われました。鍋の後は、何故か鳥の唐揚と烏賊焼きが出てきました。最後の仕上げのご飯や麺類、デザート等はありませんでした。アルコールの類はウオッカの助けもあって、ビールを除いて、僅かワイン7本、日本酒4升だったようです。江戸連の通常ベースからいくと少なかったのではないでしょうか。もっとも、店のおばちゃんは「よく飲むなあ」とぼやいていたそうですが。飲み放題付きで一人3,000円は食事の量と合せて考えると安かったどうかは微妙ですが、この時この場所で皆で楽しいひと時を過ごせた事を良しとしましょう。
 そして、騒がしくも蛮声ではなく、親しきなかにも礼節を失わない、江戸連の新年の宴は、長谷田さんの一本締めで締め括られました。(白石徹)

川越七福神めぐり 妙善寺から妙昌寺まで(14分0秒)

菓子屋横丁から蔵造りの町並み、時の鐘、新年会(8分9秒)

川越まつり会館にて講演(全収録)
まつり会館動画1.jpg川越の舟運について①(14分38秒)

まつり会館動画2.jpg川越の舟運について②(13分54秒)

まつり会館動画3.jpg川越の舟運について③(3分50秒)


川越 ― 七福神より河岸段丘の確認に夢中のまち歩き

新実由無

 元川越市職員の圓山氏によると、川越七福神は昭和53年、川越に町興しの機運が盛り上がってきたころ、市役所の職員が七福神を作ろうということで始まったそうだ。それにはなるべく川越の隅々まで歩いて川越に人をあふれさそうという”魂胆“があった由。
 何の何の“魂胆”を恨んではいません。私には千載一遇のチャンスでした。
 七福神は魂胆?のお陰で川越の外れ、武蔵丘陵の河岸段丘の縁にあったのです。

 昔から度々訪れる川越。江戸時代、なんでこんなに豊で繁栄したのかその秘密を知りたかった。その秘密を紐解く鍵は昨年の江戸連神無月講「玉川上水の史跡散策」から始まります。羽村駅前のまいまいず井戸を案内してくれた連衆の学者・岡安氏の説明を聞くうちに、これは武蔵野台地には豊な伏流水があるのではと思った。そして井戸の深さに、武蔵野台地の飲料水の確保の困難さにも思い至った。玉川兄弟は上水工事で3度062_1.jpg廻船問屋伊勢安の失敗をしているという。その中に流れた上水が地中に吸い込まれてしまうという事件があり、上水奉行の伊奈忠治の家臣が責任を取って切腹したという“悲しい”事件があった。これも伏流水の層を打ち抜いて、伏流水の層に飲みこまれた結果だとは後にわかった話。幕府から川越藩を預かった松平信綱は玉川上水の開鑿が上手くいかないところに助太刀として和算(実はイエズス会仕込みの洋算の流れを汲んでいたと思う)を修めた安松金右衛門を遣わし測量のやり直しをして上水を成功に導いた。そして幕府に野火止用水を引くことを認めさせた。

 そこで野火止用水を見たいとの思いから、羽村を訪れた数週間後に平林寺を訪ねた。松平信綱、安松金右衛門の墓が並んで静かな時間をすごしていた。藩主と家臣の墓がなんで並んでるのと思えば、野火止用水が川越藩・武蔵野台地の開発に計り知れない功績があったんだろうなと思いをめぐらした。うまくいったのかな。
 案の定、野火止用水を開鑿したが一向に水が流れない。信綱は金右衛門にさいさん用水工事は失敗ではなかったのかと問い詰めたが、金右衛門、まもなく通水しますと確信をもって答えたという伝説が残っています。それは金右衛門が武蔵野台地の土壌が非常に水を吸収しやすい土壌であったことを知っていたことにあると思われます。用水に水が流れる頃にはすっかりその周辺の乾燥地は畑作に適した湿潤な耕作地になっていたのです。川越の芋・小麦・桑など商品作物文化はこれによって花咲くことになるのです。
 野火止用水は新河岸川を樋を使って渡り、新河岸川の右岸の地まで引水されたというではないですか。新年恒例の江戸連七福神巡り、川越に行くとなりゃ野火止用水の先を見てみたいと思うでしょ。

080_1.jpg川越新河岸川 行って来ました。用意周到に!前日は野火止用水の終点、志木の町を探索。だがなかなか用水跡が見つからない。聞くところによると、今は暗渠になって所どころに僅かな水路の跡が残っているという。水路探しは止めて新河岸川の、川越に次ぐ栄えた志木市の古い民家の町並みを見学。豊な河岸文化の名残を堪能した。
 さて講の当日、午前中、武蔵野段丘の最北端川越に行くなら新河岸を見ておきたい。段丘の高低差を確認したいとの想いから下新河岸を訪ねる。もう一つの狙いは今日の講で新河岸川の舟運についてお話をしてくれる斉藤正美さんは、ことによると下新河岸の大商人・伊勢安の家系につながる人ではないかとの読みからでした。あとでお会いして伺ったら図星でした。今も伊勢安の隣に住まわれているそうです。そういうことなら今日実家の案内をしてあげたのにと云われたが、後の祭り。又の機会にとお願いしました。

 新河岸川のほとりに立つと段差は2~3メートル。それほど高くないなとの思い。然し日枝神社の裏手の段丘崖下にこんこんと湧き出る湧水を見つけた。後で聞く斉藤先生の話では、川越は入間川の伏流水の町で、新河岸川も伏流水が段丘の先端から湧き出した湧水が水源ですとのこと。小さな流れになって流れ込むその先には新河岸川の流れが、冬の寒々とした景色の中を悠久の流れのようにきらきらと水面光らせながら流れている。この先は江戸だ!と、しばし歴史を手繰り寄せ、思いにふける。
 またまた調べました。その後の調べで川越には19箇所の段丘から流れ出る湧水・泉があるそうな。湧水が集まって新河岸川に。そして新河岸川に流され江戸に。江戸が見える。なんとロマンチックじゃないですか。

 毎年買う七福神巡りのスタンプ色紙。今年は買いそびれました。

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信仰・観光・健康の小江戸川越七福神めぐり

▼昭和61年より正式に発足しました小江戸川越七福神霊場会は、これまで20年余りの間、小江戸川越七福神が多くの皆様に親しまれるように活動してまいりました。この間、小江戸川越は、官と民の相互協力により、江戸情緒漂う景観を守る運動や様々な観光施設の拡充などが進み、関東でも有数の観光都市となりました。現在の川越市長は毎年1000万人のお客様に訪れていただくことを目標としています。
▼おかげさまで小江戸川越七福神めぐりは、川越の発展と歩調を合わせるように、毎年たいへん多くの方々にご参拝をいただき、正月松の内や毎月1日のご縁日を中心に賑わいをみせています。全行程約6Kmという徒歩でも半日で回ることが出来る適度な距離と、七福神をめぐりながら多くの史跡や観光スポット(蔵造りの町並み・時の鐘・菓子屋横丁など)を寄り道して楽しめることなど、小江戸川越七福神めぐりならではの魅力的なコースが人気です。そのため、JR東日本、西武鉄道、東武鉄道各社による七福神めぐりのイベントも毎年行われ、たいへん多くの参加者が川越を訪れています。
▼最近では、元日から1月7日、毎月1日のご縁日だけでなく、四季を通じて訪れる方も多くなりました。休日にお一人やお仲間などで回られる姿、また中高生のグループが七福神めぐりを楽しむ姿をよくお見かけします。健康のために歩くことを目的にされた「歩こう会」の皆様にもお参りいただいています。七福神を祀るお寺を訪れることで、心の安らぎや癒しを得られることも人気の秘密かもしれません。
小江戸川越七福神めぐりの霊場会公式ホームページより