水無月菖蒲講実施

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02.jpg投扇興
報告者:投扇連世話人 仲下尚治氏

 江戸連では2009年から毎年6月堀切菖蒲園で投扇興を楽しむ会を開催、今年は第4回となった。

写真は今回優勝者の林繁樹さん


 昨年8月、投扇興に魅せられた有志が投扇連を結成、4回の”投扇興を楽しみ技を磨く会”で練習を重ねて来た。今回はその成果を試す大会でもあった。
03.jpg参加者は練習に参加してきた白石夫妻、仲下夫妻、新実、林、圓山、宮田さんに加え、投扇興は2回目の広瀬夫妻、松崎、村岡さん、初参加の坂本、宮川さん、撮影に駆けつけてくれた特別参加の長谷田さんの合計15名。くじ引きで対戦相手が決まりトーナメント試合のスタート。
 1回戦で圓山、仲下夫人、新実、白石、仲下、宮川、林さんが2回戦に進む。2回戦では仲下夫人、新実、仲下、林さんがベスト8に駒を進める。仲下が3投目で「蓬生(よもぎう)35点」を叩き出したが、これは投げようとした矢先、携帯電話が鳴り出し、タイムをとって試合中断後、戻って来て投げたのがこの高得点に結びついた。中々出る技ではないので、皆からはあの電話は技のトリックか何かのカンニングがあったのではないかと疑われたが、正直者の仲下に幸運の女神の吐息がかかったのではないかと思われる。さっそく長谷田さんに撮影してもらう。(写真参照) 120628 蓬生よもぎう 仲下ロゴ入り.jpg
 その後も無難に点数を重ね53点をゲット、今回の最高得点を記録。敗者復活戦では白石夫人、長谷田、坂本、松崎さんが勝ち残る。1、2回戦、敗者復活戦で勝ち残れなかったものの高得点を出した4名と敗者復活戦の勝ち残り4名で第2の敗者復活戦。勝ち残ったのは宮田、宮川、圓山、坂本さん。坂本さんは初参加にも関わらず12、17、12、20点と確実に調子を上げてくる。本大会では初参加の人が優勝するというジンクスがある。
 ベスト8戦ではそのジンクスどおり、高得点の余韻が醒めない仲下を大差で下し、ひょっとしたらひょっとするかも?と思われた。しかし、強敵がいた。なんといつも風前の灯のごとく勝ち残っていた林さんである。120628 浮舟 林さんロゴ入り.jpg
林さんは、やるときゃやる男、勝負師であった!1回戦は2対0で広瀬さんを下し、2回戦では松崎さんを1対0で辛くも逃げ切り、周りでは“もう後はないな”とささやかれながらも、強敵圓山さんとの第3回戦では、なんと、「浮舟30点」というウルトラC技を繰り出し止めを刺した。(写真参照)
 それでも、今のはマグレかも?という思いを誰もが捨て切れない。めきめきと頭角を現す坂本さんとの準決勝では、これまた21対20という僅差でしぶとく勝ち残り、ついに決勝戦まで行き着いた。それを迎え撃つは実力どおりに勝ち進んでき01_2.jpgた新実さん。決勝戦は会場の貸しきり時間が迫ったため5投だけの真剣勝負。林さんは1投も当たらず0点!してやったりと、新実さんが投げた1投目の扇子は蝶に当り、「花散る里1点」、これで優勝決定。。。のはずであった。ところが新実さんはそれでは男が廃ると思ったか、プライドが許さなかったか最後の5投まで完投することを選んだ。しかし、なんと扇を台に打ち付ける「コツリ-1点」を2度も投げてしまった。またもや女神は林さんに微笑み、あろうことか「0対-1」という前代未聞の優勝者が誕生した瞬間だった。 これこそ投扇興の醍醐味、人生そのものだ。

投扇興についてのあれこれ
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 「投扇興」はいわゆる田沼時代といわれた安永2年(1773)に関西で起こり、すぐに江戸へ入り大流行したらしい。下級幕臣にして狂歌の天才であった大田南畝は随筆『半日閑話』の中で、「冬(安永2年)の初より投扇興流行す。」と書き残している。また、『江戸名所図会』の著者斉藤月岑がまとめた『武江年表』には、安永3年の出来事として「投扇の戯行れ、貴賎是を弄べり」とある。同じ頃、京都の公家達の間にも投扇が流行して遊び方の手引書が種々出来たという記録も残されている。こうしたことから考えると投扇興は、安永年間に関西と江戸の双方で流行り出した、公家から町人まで貴賎を問わずに受け入れられた遊びとして広まったようだ。寛政年間~文化・文政年間に入ると、遊び方・道具などに新工夫がこらされ、投扇興図式や投扇式などの出版も相次いだという。ただ、投扇興の庶民層への広まりとともに金銭を賭けた遊びとなり、寛政や天保の改革の際には禁じられたこともあったようだ。

 「投扇興」を詠んだ俳句をいくつか紹介しておこう。ちなみに「投扇興」の季語は「新年」である。
阿波野青畝(高浜虚子門下の「4S」(水原秋櫻子・山口誓子・高野素十)の一人)の作品:
 「投扇興 みんな花散る里と散る」「投扇興 畳すりゆく 要かな」
徳永山冬子(松根東洋城門下)の作品:「投扇興 妬み心の しばしあり」
成瀬正俊(虚子門下・国宝犬山城最後の城主)の作品:「夕顔の 心に投げし 扇かな」
但馬美作の作品:「尼門跡の 声の若やぐ 投扇興」
最後に季語を無視して一句:「投扇の 乱舞見つめる 花菖蒲」(圓山謡拙)