歌舞伎鑑賞
企画 江戸連理事 石垣曜子氏
恒例の春の歌舞伎鑑賞、55名という大勢の連衆に参加いただきました。
上演30分前の集合時間に合わせて訪れた連衆たち。思い思いに入口近くで販売されているお弁当を購入し、長丁場の歌舞伎に備えます。
この日の昼の部の演目は人情話「荒川の佐吉」と有名な「仮名手本忠臣蔵 九段目山科閑居」でした。「荒川の佐吉」はヤクザの世界に飛び込んだ実直な佐吉の話。盲目の役で子供も出演とあって歌舞伎に慣れていない方でも比較的わかりやすかったように思います。最後の早朝の別れの場面では、空が明るくなるにつれて舞台の桜並木のピンク色が鮮やかに映えていき、春の観劇に相応しい情景を堪能することができました。
「仮名手本忠臣蔵」は、加古川本蔵の娘の祝言をきっかけにした大星由良之助宅での一場面。本蔵の後悔の念と娘の幸せを祈る思い、そして由良之助の仇討の覚悟といった強い意志を抱えた男役の演技に女形の艶やかな衣装が華やかさを添えていたと思います。登場人物の細やかなやりとりが非常に見ごたえがありました。
歌舞伎座が改修工事中のため、去年に引き続き今年も新橋演舞場での観劇となりましたが館内はお着物の観客もいて、こちらも気分も盛り上がります。何より3階大衆席はやや全体が見えづらい席ではありますが、大向こうから絶妙な間合いで「こうらいや!」「なりこまや!」と掛け声がかかり、歌舞伎の雰囲気を満喫した1日となったことと思います。
(石垣曜子)
歌舞伎を裏から見ると・・・「歌舞伎の衣装から意匠へ」
新実由無
演目 真山青果作・真山美保演出 江戸絵両国八景「荒川の佐吉」
「仮名手本忠臣蔵・九段目・山科閑居」。
◆「荒川の佐吉」は両国橋の付近出茶屋が舞台。大勢の江戸町人の女達が出てきますが誰も彼も黒襟の和服姿。気に障りませんでしたか。流行の縦縞に黒襟、銘仙に黒襟。なんでまた黒襟ばかりなのか。
一体ナンダと思って調べたら、その理由があったんですよ。
江戸時代後期の町人女性の着こなしの流行だそうで。ことの始まりは髪につけた油で汚れやすい襟を部分的に外して洗濯しやすくした貧しい町民の知恵。しかし吉宗以後度々贅沢禁止令が出されたことへの抜け道として特に江戸の町女は誰も彼もつけていたようである。贅沢な、派手な着物に付けて普段着を装って着るために考え出されたという「黒襟」。それが江戸町人の美意識にあって粋な装いとしてもてはやされ、「上等な着物に、けち臭い黒襟をつけることが粋なんだよね!」とか。浮世絵の美人絵にも登場となる次第。
◆「仮名手本忠臣蔵」九段目のど肝を抜く色使い。なんでと思いませんでしたか。忠臣蔵といえば討ち入りの白と黒の情景を思い出しますが、衣装の色による歌舞伎演出はこれに優るものなしと言うことだそうです。
福助演ずる小浪 白の嫁入り衣装、綿帽子 黒の帯 五行の金行
藤十郎延ずる戸無瀬 黒の内掛けの裏が紅 水行から火行
幸四郎演ずる加古川本蔵 黄色の虚無僧姿 土行
菊五郎演ずる大星由良之助 緑 五行以外
染五郎演ずる大星力弥 青の縦縞 木行
時蔵演ずるお石 黒の振袖 水行
由良之助以外は人物の衣装が、五行の色と同じである。
雪が降りしきる山科の大星由良之助宅。加古川本蔵の妻の戸無瀬が、前妻の娘小浪を許婚である由良之助の息子の力弥に嫁がせるために雪の降りしきる中、山科の閑居を尋ねてきます。小浪は白無垢に白の綿帽子、戸無瀬は白の揚げ帽子(角隠し様の被り物)に黒の打掛け。部屋に通された小浪は綿帽子を外し白の内掛けを脱ぐと白の振袖に黒の帯。エッと尋常で無い黒帯に不吉な予感を漂わせている。戸無瀬が力弥に輿入れの申し入れるが、しかし由良之助の妻お石は、今は浪人であることを理由にこれを拒否します。そこで戸無瀬は黒の打ちかけを脱ぎ談判に。黒の内掛けの裏は目も覚める紅色。そして振袖も紅色。このとてつもない演出は? 黒は正装とはいえ死を予感させる不吉な色。そして紅色は死の前の血の色。客席は息を呑んで演技に飲み込まれていく。
青い縦縞の小袖姿の力弥はキリリとした青年姿。黄色の虚無僧姿の加古川の本蔵。黄色は江戸時代卑しい色とされ、落ちぶれた姿をあらわしているのだろうか。本蔵は力弥の手にかかり果てるが、本蔵から婿引出しとして師直邸の絵図面を送られた由良之助は、本蔵の虚無僧姿を借り身分を隠し仇討ちに出立するのです。
なんという色彩演出か。しかし嘉永2年(1849)豊国が描く歌舞伎浮世絵(写真参照)の色使いはここまで明瞭に演出していないようです。現代的な解釈なのかも知れません。歌舞伎を見る経験の少ない私にとって、ことによると歌舞伎の面白さに目を開かせてくれた今回の歌舞伎であったかも知れません。4月の通し歌舞伎が見たくなりました。