卯月講実施

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画像2.jpg「誹風柳多留」24篇所載(国立国会図書館所蔵)
古川柳から見た江戸の四季
企画 江戸連理事 松本崇男氏


 楽しみにしていた行事だけれど、「雨おんなですがご一緒できますか」と念を押されて、どうしたものかと一瞬考えてしまった・・・断るのもなんだかなあ。明るい顔を無理やり作って「一緒に行こう」と答えたものの当日雨だったらどうしよう。上掲の川柳「雨おんな・・・」は本日の講師、上鈴木春枝さんの第14回犬吠賞(大賞)受賞作。たった一つの句がうみだす心のさざ波。なんてことないことだけれど誰にもありそうな出来事。しかし今日の講演会まで雨なんて・・・

 タイミングの良いことに雑誌『東京人』は2012年4月号で「川柳」特集、わが江戸連機関誌『江戸連』七号でも連衆・圓山謡拙氏が「川柳に見る驚くべき江戸のシステム」を掲載と、あれこれ環境が整って今日の講演会を迎えました。

柴又「川千家川柳教室」講師、上鈴木春枝さんによる「古川柳から見た江戸の四季」。連衆39名が参加、総会の熱冷めやらぬ会場の中の講演会となった。

 講師から出題された前句付(まえくづけ)7問。順不同に並び替えた前句と付句をつなぎかえる設問。江戸を楽しみ江戸を学んできた連衆ではあるけれど、江戸人ではないだけにけっこう難問。(失礼しました、難しかったのは筆者だけのようですね。)
前句 迷惑な事迷惑な事     付句 取次ぎに出る顔のない煤払い
前句 睦まじい事睦まじい事   付句 碁敵は憎さもにくしなつかしさ
前句 ありがたい事ありがたい事 付句 妙薬を開ければ中は小判なり
この設問で川柳が前句「7・7」に「5・7・5」の付句を付けた「前句付」であったこと、今では前句の記録が失われ付句だけが残っていることが多いことなどが明かされます。どの句も、江戸の暮らしと、暮らしの機微を理解していないと解りにくいようですね。

柄井川柳と『誹風柳多留』の解説をいただきましたが、ここでは省略しましょう。

さて、ここからが本題。川柳で江戸の暮らしを春夏秋冬、季節の移ろいの中に探ろうというわけです。暦は1月から始まるわけですが、ここで一ひねり。江戸の年賀を理解するためには暮れの掛取りの理解が必要のよう。というわけで「掛取り」の川柳から始まりました。

掛取り  餅は撞くこれから嘘をつくばかり
正月の餅はついた。これからやってくるだろう借金取りにどう嘘をついて撃退しようか。(餅を)撞くと(嘘を)つくとの語呂合わせで笑わせ、やりとりはゲームのようにも思えるけれど暮らしの必死さが伝わってくる。江戸時代は帳面に記載しての掛け買い、掛け売りであり、7月の盆前と大晦日を決済日としたが、特に大晦日は総決算日だったとの解説。

年賀   貸しがあるそうで御慶をざつに受け   (御慶=新年の賀詞)
     借りがあるそうで御慶に念が入り
正月は年賀で始まるが、江戸庶民は大晦日に徹夜で掛取りに歩いたり、それに応対したりしたから、年賀は一般に2日からだったそうです。貸しがある人借りがある人、それぞれの対応があるようです。

・・・・・こうして12月の掛取りから始まった「川柳にみる江戸の四季」、年賀、扇売り、初夢、雑煮、七草、初午、桃の節句、端午の節句、初鰹、川開き、暦売り、鯨売り、鰒(ふぐ)と続いて年の暮れの掛取りまで。川柳を通して季節の行事と江戸の人々の暮らしぶりがくっきりと描き出される。

初鰹   目も耳もただだが口は高くつき
山口素堂の句に「目には青葉山ほととぎす初鰹」とある。初鰹は江の島や鎌倉でとれたものを昼夜兼行の早舟や早馬で江戸に運んでくる。鰹には勝男の文字をあてて、武士にふさわしい魚という意味もあるとか。武家の都・江戸に住んでいるからには鰹が一番だと町人は考えた。青葉を見るのも、ほととぎすの声を聴くのもただだが、それにしても初鰹の高いこと。

ふぐ   ふぐ汁を一つ蓮としゃれて食い
江戸時代、ふぐは冬の催行の味覚だった。しかし、専門の調理師のいない時代だったから、危険な美味でもあった。当時の調理法はもっぱらふぐ汁である。あたれば共に蓮の上(死ぬよ)と冗談を言いながら美味を楽しむ。
 片棒をかつぐゆうべの鰒仲間
ふぐ中毒にあたれば冗談では済まない。棺桶の片棒を担いでいるのは昨夜ふぐで一杯飲んだ相棒だ。ちょっと怖い。

一句ずつ行事とそれにかかわった人々の解説を聞けば、なるほどなるほどと合点がいく。江戸人の暮らしが悲喜こもごも描き出される。ユーモアとペーソスが同居している。
まさしく絵解きするように江戸の暮らしを学んだ講となった。松本崇男



(講演の冒頭より15分)

現在川柳というのはですね、朝日新聞の朝日川柳があります、読売新聞の読売時事川柳、毎日新聞の万能川柳、いろんな新聞が川柳欄を設けております。
それから雑誌だとか、月刊誌、週刊誌も川柳欄を設けておりますけれども、そういう川柳っていつ生まれたの、どうして私たちは川柳と呼んでいるの、そんなところからみなさまとご一緒に楽しんでまいりたいと思います。
私が用意した資料は、試験問題みたいになっているんですよ、空欄がありますのでね。
ただ読むだけではなく、みなさんに考えてもらいたい(笑)
鉛筆ありますか?         (上鈴木先生の講演より)


上鈴木ワールドはスタートからエンジン全開です。


講だより満一年、WEBかわら版へ
会社の決算会議を思い出すような真剣な総会に続き、上鈴木ワールドに引き込まれ、あっという間の2時間でした。いやー、実に中身の濃い午後でした。 (のどカラカラ)
次は 本日のメインである 懇親会です♪
ということで、おいしいと常々評判の中国料理 天豊へ移動しました。

ビールの準備ができたところで、江戸連でもっともキャリアの長い吉田拓生さんの乾杯の音頭で懇親会が始まりました。
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自分はこのお店は初めてだったのですが、評判どおりおいしかったです。席もちょうどいいくらいにキツキツで、いい感じに盛り上がりました。
幹事さん、会計さん、毎度毎度お世話になります。<(_ _)>

私ごとですが、自分がWEB編集の担当になってちょうど一年になりました。
振り返れば昨年の総会・卯月講の懇親会で、インターネットで講の情報を発信しませんかと提案したのが、そもそもの始まりでした。
その時に提案したのは次の3点でした。
1.講の告知チラシを作ってインターネットにアップし、必要な人はダウンロードして印刷する。(紙での印刷物は作らない)
2.講の写真をBGM付きのフォトムービーに仕上げ、事後報告とする。
3.既存の江戸連HPに迷惑をかけないように独自サイトを佐々木が立ち上げる。

結果的には、ちょっと面白いイベントの告知報告サイトの提案だったのですが、開始から半年くらいはすごく大変で、まるで嵐の中にいるようでした。
しかしその嵐が静まってみると、今度は何が大変だったのかがよく分からなくなりましたですね。(苦笑)
結果よければすべてよしって感じです。

この場をお借りしまして、講サイトに理解を示していただいた幹部のみなさんや講だより見てますよと声をかけていただいた会員さんへ感謝の気持ちをお伝えします。
そして、新しくなったWEBかわら版もご支援のほど、よろしくお願いします。(WEB編集:佐々木俊也)

柄井川柳(からいせんりゅう)
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享保三年(1718)柄井八右衛門の長子として生まれた。祖父の代から浅草新堀端、龍宝寺門前の町名主をつとめた。宝暦五年、父の引退により名主職を継ぎ八右衛門を襲名。宝暦七年(1757)40才の時に前句付の点者(優劣を判定して評点をつける者)となる。同年最初の万句合を興行。以降、月三回五のつく日に句合を興行。宝暦十二年(1762)には総句1万句を超した。寛政二年(1790)73歳で没。

誹風柳多留(はいふうやなぎだる)
柄井川柳の友人、呉陵軒可有(ごりょうけんあるべし)が柄井川柳の選んだ優秀句の中から掲載作品を選考し掲載した川柳の句集。

現代川柳
新聞をにぎわす時事川柳、企業が募集する公募川柳、サラリーマン川柳やトイレットペーパーに印刷されるトイレ川柳など、川柳は今も活発に作られている。