皐月講実施

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Still0523_00011.jpg北関東にたずねる「絹と木綿の江戸文化」・結城と真壁を訪ねて-バスツアー

企画 江戸連代表理事 新実由無氏


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 5月の天気は上空に寒気が侵入し、雷や竜巻の被害が出るなど不順で、前日も豪雨で今日の天気が心配になりましたが、一転、寒気の心配もない快晴。眩しいくらいの光輝く朝。なんともはや江戸連は何処までついているのだろうか。東京駅丸の内口には集合時間前からゾクゾクと集合。皆さんの顔・目が輝いて気分も最高の様子。42人の参加者は定刻前にそろってバスに乗車。バスは首都高を開業間もない東京スカイツリーを眺めながら。一路結城へ。なんと白石さんから早速缶ビールの配給。今日は暑くなりそうだからと事前に水分補給となれば、車内の会話は声高になり、バスの中でいつもの資料に基づく説明もできそうにありません。しばし歓談。守谷サービスエリアで一息入れて、資料バスの中での新実さん.jpgの説明。谷原で高速を降り、一般道を走る。30分くらいとお断りして始めた説明も、ついつい熱が入って1時間くらい遣ってしまったのか、朝からテンションが上がって、ちょっと気が付くと間もなく結城。
 結城駅前の観光センターで結城市観光ボランティアガイド協会会長の福井氏に出迎えられ、街案内ガイドさんを乗せ、いざ結城の街中へ。
 結城の街中は狭い道路で観光バスにはチョッと辛い街並み。恐縮しながら息を潜めてそろりと駐車場に。バスを降りるや皆さん俄然張り切り出して、2班に別れてガイドさんの後を追う。
初めてのFMラジオ発信機・受信機の利用ですが。結構良く聞こえます。ついついガイドさんから離れてしまい、あわてて後を追うこともしばしば。
 先ずは幕末・安政年間に建築された老舗の味噌屋さん、土蔵作りの漆喰の壁がところどころ剥げ落ち3・11の地震のひどさが目に飛び込む。店の中は古い佇まいの中、味噌のにおいが充満、振る舞いの味噌汁が美味しかったです結城のガイド.jpgね。帰りには大勢の方が味噌や、麹を買ってダンボール3杯。バスに届けてもらう。沢山買いました。地域貢献が少しはできたかも。店主も気分良く作業場の奥まで案内してくれました。ガイドさんによるとめったにないことだそうな。この後、結城酒造に。4月に下見に行った時は屋根の瓦が3・11の被害で大きく崩れ落ちて、ブルーシートに覆われていましたが、新しい瓦で葺き替え工事の真っ最中。伝統建築の保存の名義で文化庁の予算がついたそうです。それにしても店主の説明は、歴史でなく被害状況や復旧の困難さばかりで、我々は被害状況の視察団と間違えられたのかしら。早く出ようと急がして退散。お酒も良く売れたようで、よかったですね。震災から1年たって復旧にこぎつけ、新しい瓦がチョッとは恥ずかしそうだが、まちづくりをしている人たちには大いに励みになっているようだ。ヨカッタ・・・。復旧がなったら又来たいと連衆の声があちらこちらに。またご案内しましょう。
きくやの昼食.jpg やっと、昼食。料亭「喜久家」。名物「鰻の会席弁当」。おかずの多さに皆さんもたじろぎのご様子ですが、しっかりお腹の中に。美味かったとの感想に幹事一同ホッと胸を撫で下ろしたが、珍しくお酒を飲む人が少なかったのには意外な感じでした。
 午後は結城つむぎ館見学。地元の絹問屋・㈱奥順が開いた結城紬の資料館。展示解説から紬の製作工程のうち、染めの工程が、なんとも細かい名人技が必要で、柄を作り出す絹糸に施す絞りの技術の緻密さに、結城紬の値段の高さを納得。隣の商品展示場も今日は運良く見学可能。沢山の紬織物に着物好きの江戸連の女性陣は食いいるように手に取り品定め、と思いきや、正札がなんと一反・二百万円、三百万円にため息。誰か買って結城に貢献してくださいの声も湿り勝ち。もっと見ていたいとなかなか立ち去らない連衆、充実した資料館でした。
 さて多少遅れ気味ながら真壁へ。真壁街並み案内ボランティアさんがバス駐車場に出迎えてくださいました。気持ちが熱い。早速新築なった真壁伝承館へ。ここは昨年の日本建築学会の作品賞に輝く建物。建物をじっくり見学したかったが、建築好きの諸氏には申し訳ない。今日は古い町並みを見にきたので勘弁してもらい、街に出る。
 町の建物の3分の一程が明治時代の建物で、今まで訪れたどの町より江戸の風情が濃厚に残る街に感嘆。薬医門・高麗門など、門構えが立派な独特の景観。そして古い町の主要建築がそっくり残る町は大変珍しいし、江戸時代日本の関西と東北を繋ぐ中継ぎ問屋が繁昌した町の様子が良く分かります。
ここも3・11の被害が痛々しい。しかしガイドさんの気持ちでぐいぐい引導される。皆さん地元とは言え、良く勉強されている。町のあちこちからガイドさんに声が掛かるなんて、いい町だな・・・。ガイドさんを街のカラオケ.jpg人が支援しているのが痛いほど分かり、まちを上げての観光にうらやましくなった。大正時代の建築の名旅館・橋本旅館ではどうぞと館内見学まで許していただき、めったにないことだそうです。連衆が街の人の歓待に感激しつつ、夕闇迫る中、時間を心配しながらもあと一つ、あと一つと熱心に案内頂き終了。バス駐車場にはガイドさん、責任者の方々がお見送りに来てくださり手を振ってお別れ。江戸時代から変わっていないという道に大型観光バスは不似合いで、なかなか駐車場から出られない。もう一度やり直し。その間もガイドさんたちは手を振って見送ってくださり車内は感謝と、御礼の声が。
 帰りのバスは、早速近くのスーパーによってお酒の仕入れ。さあ飲むぞと気合が入るとバスの前から、程なくカラオケがはじまる。後ろはいつもの飲兵衛集団。江戸連の講でカラオケとは、初めての事で、皆の期待が集まる。大澤ご夫妻の実にハーモニーのそろった歌声に、連衆は唖然の表情。これじゃ、あと歌う人いるのかしらとささやく声。がなんのその次々と声をあげ、皆さん堪能。しかし上手いな・・・。白石さんの講釈や佐々木さんの高尚な?小噺が出るなどいつもないほどの賑わい。いったいバスはどこを走っているのやら。
途中下車組をTX筑波学園前駅で見送り、賑やかなバス旅は一路夜空の中を東京駅に。お別れのバスガイドさんの感想は、なんと目がきらきら輝いているお客さん達ですねとのこと。そう、元気でした、連衆の皆さん。無事に東京駅に到着。お疲れ様でした。(新実由無

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結城紬(ゆうきつむぎ)
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結城紬とは、茨城県・栃木県を主な生産の場とする絹織物。単に結城ともいう。国の重要無形文化財である。近現代の技術革新による細かい縞・絣を特色とした最高級品が主流である。元来は堅くて丈夫な織物であったが、絣の精緻化に伴い糸が細くなってきたため、現在は「軽くて柔らかい」と形容されることが多い。栃木県側では小山市から下野市付近まで、茨城県側は結城市周辺(筑西市・下妻市など)が生産範囲である。小山ものを「結城」と呼ぶのには抵抗がある市民もいるが、もともと小山氏とその傍系である結城氏が支配した歴史を持つ地域のため、産地の者は違和感は覚えないという。元々この地方では養蚕が盛んであって、農閑期に副業として紬が作られたのが創始とされている。かつて鬼怒川は「絹川」と呼ばれており、生産中心集落の一つである小森は「蚕守」と表記された時代もあるなど、結城地方では養蚕にまつわる地名が多く見られた。(Wikipedia-結城紬より)