6月(水無月)講の「寿々方江戸がたり」は恒例の銀座博品館で開催された。
台風の影響もあって少し荒れ模様だった天気も夕方にはおさまり、おしゃれな銀座歩きが妙に新鮮な感じだ。6時半の開演前に既に会場は満席になっていた。
寿々方さんの今回の演目はこれまでの山周五郎作品や今泉みね『名ごりの夢』とは一変して、一部・二部とも初ものだった。
一部は藤沢周平の『山桜』。事前に作品を読んでいたので、終始目を閉じながらじっくり「江戸がたり」の世界に浸らせてもらった。
出戻り嫁を蔑み、家族あげて蓄財に狂奔する再婚先の家風に馴染めずに悩む野江は行かず後家のまま死んだ叔母の墓参りをした。回り道をした帰り、山桜を一枝手折ろうと難儀していたところに突然現れた武士(手塚弥一郎)が桜を折ってくれた。弥一郎は再婚話の際、名前があがった一人であったが、剣の使い手と聞いて、粗暴な人であろうと思った野江が断った人であった。弥一郎が、百姓泣かせで評判の悪い、藩名門家の組頭を刺殺した。「一文の得にもならない馬鹿らしいことを、正義感だけでやるやつがいるものだ」とあざける夫の言葉に野江は離縁を決意する。
ある日野江は山桜を一枝持って弥一郎の家を訪問すると、弥一郎の母から「私は、いつかあなたが、こうしてこの家を訪ねてみえるのではないかと、心待ちにしておりました。」といわれその場に泣き崩れる。「とり返しのつかない回り道をしたが、・・ここが私の来る家だった」と野江は気づかされる。
どんなに評判の悪い組頭でも、刺殺するというのはどんなものだろうかなどと少し戸惑いを感じながらも、ラストシーンに思わずホロリとさせられている自分がいた。
藤沢周平の作品と寿々方さんの語りのなせる技のせいだろうか。
二部は「江戸実話種色(えどのじつわいろいろ)」だ。明治のジャーナリスト篠田鉱造が江戸生き残りの老人たちから聞き書きしてまとめた『幕末百話』及び『幕末明治女百話』を題材にした演目である。
町方の女性が花嫁修業をかねて御殿づとめをすることが多く、こうした女性は大変品が良かったとか。大名のお見合いで、美しいお女中の替え玉が使われた話。将軍が大奥の部屋に忍びこんで御手付きにした中臈の話など、幕末の大変革がなければ決して漏れることがなかっただろうと思われる話も披露された。
8両で質入れした由緒ある具足が流れ28両もの値で売れたため、質屋が具足の元の持ち主である旗本に5両包んで渡したところ、受ける理由がないと断られた話などは「武士は食わねど高楊枝」を地でいくような実話で面白い。
夜往来で汁粉を商っていた人の回顧談に、時に夜間の大名行列に出くわすことがあったが、昼と違って静かで実に美しいものであった。ただ突然行列が現れたため、端へ避けることができず、たぎった鍋を蹴られ大火傷を負ったという。
二部のなかで私が一番気に入ったのが、スクリーンに浮世絵・満月などを映しながら、時に踊りや小唄などを交えながら語られた「今戸の寮」の話だ。浅草の少し北、隅田川に沿った地域が今戸で、大商人などの別荘があった。そこに住む御新造さんは四季折々頻繁に向島へ遊びにいったという。その帰りに、浅草側にある竹屋の渡船を呼ぶのが、寮の女中たちの重要な仕事になっていて、清元や歌沢のような声で「竹屋ア」と清く細く、水の上を辷らして呼べるようになると一人前と言われた。「秋の夕暮この船頭を呼ぶ美しい声が隅田川の夕潮を辷って行く情緒は、今思いだしてもよい心持ちがしてなりません。」と江戸の風情と情緒を会場全体に醸し出しながら、寿々方江戸がたりは幕を閉じた。
今回の二部では、語りの途中で寿々方さんの注釈がちょこちょこと入り、それが一種江戸学入門的な様相を呈していたように思えた。新しい試みとして大いに評価したい。